著者 宮澤 紫山
発行 宮澤 紫山
B5判 121ページ
1996(H8)11.30発行
花は独りゆく道を幽かに照らす灯火である。心の闇の部分に差し込んでくるその光は、人生を映し出しているように私には思えた。
そして何より生花(せいか)は美の典麗であり(当流もその域に入ると自負している)私にとっては五年位の単位でぶち当たる壁すらクッションになったものである。
様式美を追究(ついきゅう)する者にとって、当流の生花の世界は、極めて奥行の深い道程(みちのり)であり、魂の存在する空間(ばしょ)でもあった。
春の輝き、夏木立、雲の動き、秋の風、冬の荘厳、朝の冷気、昼の陽光、夜の静寂、それらは皆、創造の源泉であった。花に生きる人にとって、自然との内的対話は欠かせないものであり、はて亦、当然のことながら、沈黙のうちのこの交感にこそ、花道の発展の鍵が潜んでいるように思えてならない。
将来を担うべく研究に研究を重ねている花道家達の心と技、そして植物の三位一体を、生花の終幕の指針にすべきだと思う。この写真集には(写真にのこされるようになってから現在迄の)尊敬古流の歴史を物語るに相応しい作品の数々が収められています。
この冊子の構成は花の紹介から始まって花の印象、そして私と花との対話を表現したものです。
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花々の影(かげ)にロマンを求めて
清らかに薫り、優美に咲く花・・・
その小さな命を映しとるように綴る好随筆集
著者 宮澤紫山
発行 新風舎
B6判 75ページ
1997.4.7発行
人類が築き上げてきた輝かしい歴史、その歴史上に佇立し魂の休息を提供してくれる花たちは、誕生、死そして再生という連続する運命の中に自己の存在を示してきたのです。
静寂は老いて凋落してゆく時の揺り龍だといってもよいでしょう。私は『花通信』に花という夢を託したのです。花たちは大地の温もりにより成長し美の宇宙開闢(かいびゃく)に一肌脱いでみせたのです。
この小冊子を書いた目的の一つは有用を上回る無用な花の存在を皆さんの前に指し示し、その必要性を訴えたかったことにあるのです。しかし、どこまで成功したか自信は針の穴ほどもありません。私はこの花の生命に迫ろうと懸命に引き寄せてみたのですが、花の影を釣り上げるばかりで花という実体は現実という重い錘(おもり)のために水面下に沈んでいってしまうのです。
結局、花は偉大でした。名花とは言えぬ花たちの無言の主張は生と死の接点に向かって響いて行き、死が観念に過ぎぬかの様な矮小化した精神を否定していったのです。
真理さえも花の前では色褪せてみえることを知った喜びそれは、私にとってすべての花の共有財産である沈黙という唯一の自己主張からやってくるものだと思うのです。息苦しいほどに大仰で暗澹たる作品になってしまいましたが、花は私のすべてを凌駕する存在であり、万物を肯定するこころなのです。
この作品の大変悲しむべき点は花へと向かう内面空間を人類の頭上に拡げるところまでに至らずに了わってしまったことです。理由は簡単、私の力不足が原因です。お許しください。
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